2014.06号 ベトナム編(1)

皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。今回からいよいよ各国の情報をお届けします。第一弾は『ベトナム』です。ベトナム編の初回は、同国の基本情報と歴史について触れてまいります。

ベトナムの基本情報

ベトナム社会主義共和国、英語名は『Socialist Republic of Viet Nam』(※スペル等は外務省のWebサイト<http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/index.html>に記載のもので表記)、漢字表記は『越南』。ご存知のように、インドシナ半島の東部に位置し、中国、ラオス、カンボジアと国境を接する、南シナ海沿いの南北に伸びた国で、北部には夏以外は短いながらも四季があります。

首都は北部のハノイですが、最大の都市は南部にあるホーチミンシティ(旧サイゴン)で、政治のハノイ、商業のホーチミンシティと言われることもあります。私が行った事があるのはホーチミンシティで、南部で暖かく(というか暑い)、中心部はブランドショップが並ぶ華やかな街です(詳細は次回お伝えします)。
通貨はベトナムドン(VND)です。以前は米ドルが流通していましたが、現在は政府のお達しにより自国通貨に切り替わっています。執筆時点の為替レートで1VND=0.0048JPY、二桁切り下げたうえでさらに2で割ると日本円換算になります(三桁切り下げて5倍しても同じですが)。現地のスーパーマーケットでコーラ(390mlのPETボトル)を買ったら5,500VNDでしたので、2桁切り下げて55、それを半分にするから、およそ27円です。向こうで食べたフォー(米粉の麺。食欲がなくてもツルっといける)が49,000VND、だいたい250円くらいです。物価は、ものにもよりますが、日本のおよそ5分の1から4分の1くらいでしょうかね。紙幣の種類が多く(12種類もある!)、買物時にお金を出すのに苦労します。

2013年時点での人口は、国連人口基金(UNFPA)『世界人口白書』によると約9,170万人、国際通貨基金(IMF)『World Economic Outlook Database』によると8,969万人で、毎年約1%ずつ増えてきています。ASEAN諸国の中では、インドネシア(2億4,795万人)、フィリピン(9,748万人)に次いで人口の多い国です(※数字はIMFの値を記載)。
公用語はベトナム語で、文字はアルファベットに色々な記号が付きますが、とりあえず読めるだけでもありがたいです。街中では英語はあまり通じませんが、大き目の商業施設やホテル等では大体使えます(日本語で客引きをしている人も多いですけどね)。

ベトナムの歴史

ASEAN諸国の中でも、ベトナム戦争を経ている分独立までに時間がかかったベトナムですが、その歴史をおもいっきり要約して記してみます。

ベトナム(の北部地域)は古くから中国歴代王朝の支配下にありましたが、10世紀中頃以降に中国(宋)から独立王朝として認められ、「安南」「大越国」などの国号を名乗りました。独立王朝と言っても中国の影響は依然として大きく、さらに自国内でも王朝の交代を繰り返し、南北分裂も経験します。19世紀初頭(中国は清の時代)に分裂した南北が統一され、今のベトナムと同等の領土を有する「越南」王朝となります。

19世紀は欧州列強が東南アジア地域の統治を強力に押し進めてきた時代です。イギリスがビルマ(現ミャンマー)、オランダがインドネシア、スペインがフィリピンに進攻する中、ベトナムには1847年にフランスが侵入してきます。ベトナムの宗主国といえる中国(清)は清仏戦争でフランスに破れ、1885年にベトナムの支配権をフランスに委譲します。ここからはベトナムはフランスからの独立を目指す事になります。独立運動の一つとして、共産主義に共感したホー・チ・ミンによる共産党結成が挙げられます。

この頃、日本は日清戦争(1894-5年)、日露戦争(1904-5年)、第一次世界大戦(1914-8年)で戦勝国となり、東アジアから東南アジアへとさらに南下していき、1940年には北部ベトナムに、1941年には南部ベトナムに進駐します。それに対しフランスは、本国がナチスドイツの占領を受けていたこともあり、ドイツと同盟関係にある日本と、ベトナムを共同統治することに同意します。

日本は1941年末に太平洋戦争(大東亜戦争)に突入すると、驚くほど短期間で東南アジアのほぼ全域を占領下に置きます。しかし、周知のように1945年に日本は連合国軍に降伏して東南アジア諸国の占領を解きます。
フランスは終戦翌年から再度ベトナムに進攻しますが、ホー・チ・ミン率いる反フランス側(※中国ソ連の助力下で共産主義をとなえています)が徹底抗戦し、9年間の戦いを経て、1954年にフランスが撤退します。

これで終わりと思いきや、今度はフランスのかわりにアメリカがベトナムに直接関与する事態に変わります。 この当時、ドイツの東西分裂や中華人民共和国建国など共産主義が拡大しつつあり、アメリカがそれを阻止しようとしたためです。
当時のベトナムは、フランス支配(フランス撤退後はアメリカ支配にかわります)の南ベトナムとホー・チ・ミン率いる北ベトナム(ソ連が助力)に割れていました。結果、アメリカ対ソ連の代理戦争といえるベトナム戦争に突入していくのです。

戦争証跡博物館。ベトナム戦争の写真や遺物、当時を再現したものなどが多数展示されている。
戦争がいかに悲惨かをあらためて痛感させられる。

最終的にはアメリカ軍が撤退し、北ベトナム(ホー・チ・ミン側)が南ベトナムを武力制圧し、1975年にようやく終戦を迎えます。翌年の1976年に総選挙により南北統一が果たされ、ベトナム社会主義共和国が成立します。南北統一後も周辺国との関係悪化や経済混乱など問題が続きます。1986年に「刷新」を意味するドイモイ政策を打ち出し、社会主義を取りながらも市場経済に転換、1995年にASEANに加盟し、今日の発展につなげていくのです。

ベトナムの歴史に文字数を割いたら、あっという間に紙面が埋まってしまいました。次回は現地情報を中心にお伝えします。

※本文中の数値やURL等は執筆当時のものです