2016.07号 ラオス編(2)

皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。
今号ではラオスの歴史をお届けします。

ラオスの歴史についてはあまり知られていませんが、大国に翻弄されてきた歴史とも言えます。
時代は大きく「ラーンサーン王国時代」「三王国時代」「フランス植民地時代」「独立後」に分けることができます。
では、また例によって思いっきり要約して記していきます。

ラーンサーン王国時代

ラオスが歴史に記されるのは14世紀のラーンサーン王国からです。
『タイ編(2)』の「タイの歴史」で触れましたが、この当時のインドシナ半島は、”ムアン”とよばれる集落が連合して国に相当するものを形成していました。1353年にファーグム王がラオ族のムアンを統合して統一国家を建てます。
ラーンサーン王国はその後三国に分裂するまでおよそ350年間続きます。
ファーグム王はルアンパバーン(現在は世界遺産に指定されていますね)に都を置き、現在のラオスとタイ東北部を版図にします。上座部仏教を国教とし、寺院建設を盛んに行います。
ファーグムの後はサームセンタイが王位を継ぎ、王国の軍や税制の基礎が作られます。
ラーンサーン王国は16世紀のセーターティラート王の治世に最盛期を迎えます。ラオスのシンボルである黄金の仏塔タート・ルアンはこの時に建立されています。
この頃、ラオスの近隣では、タイのアユタヤ朝とビルマのタウングー朝という大国が栄えています。それまではアユタヤ朝が絶頂を誇っていましたが、急成長を遂げたタウングー朝が周辺国への侵攻を積極的に行っています。
セーターティラート王はタウングー朝の侵攻を避けるため、ルアンパバーンからビエンチャンに遷都します。1560年のことです。
その後一時的にタウングー朝の支配下に置かれることはあったものの、再度独立し、スリニャウォンサー王の治世には文化的な隆盛期を迎えます。

ラーンサーン王国を建国したファーグム王の像
ラオスのシンボルである黄金の仏塔タート・ルアンとセーターティラート王の像

三王国時代

17世紀末にスリニャウォンサー王が没すると王位継承争いが起き、18世紀初頭に「ルアンパバーン王国」「ビエンチャン王国」「チャンパーサック王国」に分裂します。ここにラーンサーン王国の歴史は幕を下ろします。
18世紀はお隣タイ(シャム)で王朝が交代し、精力的に近隣諸国を制圧していました。分裂して国力が低下した三王国はいずれもタイの支配下に置かれます。
三王国の一つであるビエンチャン王国の王アヌウォンはタイに反旗を翻しますが、失敗し、結果としてビエンチャン王国は事実上滅びます。

フランス植民地時代

19世紀にはフランスがインドシナ半島に侵攻してきます。ベトナム、カンボジアに続いて、ラオスも植民地化しようとします。
この時点でラオスの宗主国であるタイは、ASEANで唯一独立を保持した国ですが、フランスが首都バンコクに軍艦を乗り入れてタイを恫喝します(パークナーム事件)。
これによりラオスの支配権がタイからフランスに移譲され、仏領ラオスとなります。
しかし、フランスは、ラオスは人口が少なく旨味が少ないと見切りをつけ、インフラや医療機関の整備、教育などの投資を消極的にし、逆に重税を課します。
これによりラオス人民は塗炭の苦しみを味わいます。
1930年に、同じくフランスの植民地となっているベトナムでインドシナ共産党が発足したのをきっかけに、その指導のもと、ラオスでもフランスから独立しようという運動が活発化してきます。
太平洋戦争末期に日本軍がインドシナ半島に進駐しフランスが撤退すると、ラオスはタイの傘下に戻ります。
しかし、日本の敗戦後には再びフランスの支配下に置かれます。
戻ってきたフランスと、被植民国のベトナム、ラオス、カンボジアの間で、独立をめぐってインドシナ戦争が起きます。インドシナ戦争や、この後起きるベトナム戦争は、ベトナムで起きているという印象が強いですが、ラオスも含まれているのです。
この後の展開は、ベトナムの状況と酷似しています。
ラオス国内は、親仏の右派と反仏派の左派に分裂し、内戦化します。
1954年にインドシナ戦争は終結し、フランスが撤退してラオス王国は完全独立をはたしますが、今度はフランスに替わってアメリカが手を伸ばしてきます。
ベトナムが南北に分裂して、南はアメリカ、北はソ連が援助をして米ソの代理戦争になったのと同様、ラオスでは右派(ラオス王国)に対してはアメリカが、左派(NLHS:ネオ・ラーオ・ハク・サート:ラオス愛国戦線)に対してはソ連が援助をし、内戦が激化します。
拡大するベトナム戦争にラオスが巻き込まれていった形です。
この時米軍がラオス領内の空爆に使った弾薬の量は、第二次大戦時に全世界で使用されたそれの総量を上回ると言われます。
最終的には北ベトナム(ラオスでは左派のNLHS)側が勝利を収め、ようやく戦争が終結します。

ベトナム戦争時に投下された爆弾の不発弾。現在でも数多くの不発弾が残っていて、撤去作業が続けられているが、毎年被害者が出ている。
パトゥーサイ(凱旋門)。戦没者の慰霊碑として建設されたが、タート・ルアンと並んでビエンチャンのシンボルとなっている。

独立後

NLHS側の勝利により、二分されていたラオス国内も統一されます。形式的に続いていた王政が廃止され、現在の「ラオス人民民主共和国」が建国されます。
当初は社会主義政策を採っていましたが、西側諸国からは援助が受けられず、経済が停滞し、物資不足に陥り、人口の一割が難民化するほどの深刻な状況に陥ります。
後に市場経済に転換し、自由化・開放化が本格化し、1997年にASEAN加盟を果たし、現在に至ります。

今号は以上で終了です。次回は現地の様子をお届けします。
ではまた次号でお会いしましょう。