2017.11号 タイ番外編

皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。
今回はタイ番外編をお送りします。
昨年2016年10月13日にプーミポン前国王(ラーマ9世)が死去した際に、現地の様子を番外編としてお届けしました。
それから一年が経ち、先月10月に国を挙げての大規模な葬儀が行われ、国民が偉大な前国王に最後のお別れをし、喪が明けました。
今回はその様子を記していきます。

前国王死去から葬儀までの経過

昨年10月の死去から葬儀が終わるまで、およそ以下のような経緯がありました。

 2016年10月13日 前国王死去(1946年に18歳で即位、在位期間70年4カ月)
 2016年10月13日 タイ政府が30日間の半旗掲揚と公務員の1年間の服喪を発表
 2016年10月16日 タイ政府が黒服の代わりに黒リボン着用の公式見解を発表
 2016年10月17日 文化相が伝統行事ロイクラトン(灯籠流し。11月に実施)実施可の見解を発表
 2016年11月22日 前国王追悼式典実施
 2016年12月01日 ワチラーロンコーン新国王(ラーマ10世)即位
 2016年12月26日 火葬施設敷地境界決定の儀式
 2017年02月27日 火葬施設着工式
 2017年10月07日 葬儀リハーサル実施(15日、21日にも実施)
 2017年10月18日 火葬施設落成式
 2017年10月25日 葬儀期間開始
 2017年10月26日 火葬実施。休日。
 2017年10月29日 遺骨・遺灰を王宮と寺院に移送。葬儀期間終了
 2017年10月30日 喪明け

日程は未定ですが、来月2017年12月に、ワチラーロンコーン新国王の戴冠式が行われると見られています。
即位式と戴冠式は実質同じものと思っていましたが、タイの国王は即位をしてから戴冠式を行うまで間が空くことがたいていです(前国王は即位の四年後に戴冠)。

前国王

1946年に兄である先王の死去(不信死)により即位しました。
この時期は、タイが絶対君主制から立憲君主制に移行して間もない時(立憲革命の14年後)で、王室の権威は失墜していたと言っていい状況です。
戦後の高度経済成長期、タイを発端としたアジア通貨危機、10回を超えるクーデターを含む政治的混乱、洪水など、激動の時代に、自らタイ国中に足を運び、国民に寄り添うことを幾十年も続けることで絶大な信頼を勝ち得ていきました。
国王自体は象徴的存在で政治を直接行ったわけではありませんが、政情混乱が起きた際には仲裁に入り事態を収拾してきたことで、権威が一段と上がりました。
1992年の"暗黒の5月事件"(クーデターにより権力を掌握した陸軍に対して大規模な抗議デモが起こり、軍がデモ隊に発砲し多くの死傷者が出た)で、事態を憂慮した前国王が軍政のトップとデモ隊の指導者を呼び出し、自分の前に座らせ、衝突の収拾を指示した場面は、映像や写真でよく見られ、象徴的な出来事です。
また王室プロジェクトと呼ばれる開発計画を立案し、水資源や灌漑開発、農地や農作物の開発、など、特に貧困の農村地域の生活の向上と安定化に尽力されました。

葬儀

2017年11月25日(水)〜29日(日)が葬儀期間とされ、26日(木)に火葬が行われ、この日は休日となりました。
王宮近くはもとより、街のいたるところに黄色いマリーゴールドの花が植えられ、国王を偲んでいます(タイには曜日ごとに色が決められていて、前国王誕生日の月曜日は黄色)。
運賃を無料にしている公共交通機関もありました。

沿道には黄色いマリーゴールドの花が植えられていました。
葬儀時期に花が咲くように植えたのでしょう。
中央のオレンジ色の花で形作られているのはタイ文字の数字の9。
前国王のラーマ9世を表しています。

昨年の死去後一ヶ月もすると徐々に喪の色が薄くなってきてはいたのですが、葬儀期間中は死去直後の状態に一時的に戻ったかのようです。
黒い服装が圧倒的に増え、広告や画像・映像は白黒、音楽や派手な照明は止まり、テレビ放送も葬儀の儀式について延々流しています。
大規模な商業施設(百貨店)の電光掲示板では国王の偉業をたたえた映像を効果的な音楽とともに流し感動的なほどです。

高級百貨店の電光掲示板。
"HM KING BHUMIBOL'S ASCENT TO HEAVEN"(プーミポン国王陛下は天に召された)と書かれています。

ただ、26日の火葬が終わると、その後は、静かではあるものの、ひと段落したかのような雰囲気になっていました。
タイで信仰される(上座部)仏教では輪廻転生が信じられており荼毘に付した後の悲しみが長引かない、という人もいます。
火葬翌日の王宮前広場は、平日のためか、意外なことにがらんとしていました。

火葬施設

先述の火葬施設は、この時のためだけに、昨年の死去後から1年強(※設計期間を含む)かけて火葬施設が王宮前広場(サナーム・ルアン)に作られました。
火葬後の一ヶ月間は一般に公開され、その後取り壊されます。
私も実際に火葬施設を見てきましたが、そこの一角に展示されていた説明書きによると、
「前国王の火葬場と28の建造物は、王宮前広場の儀式用敷地のおよそ3分の2を占め、377枚の略図を基に具現化された。この火葬施設は1,000トン以上の鉄で作られ、景観として500,000以上の植物が使われている。数千人の職人、芸術家、ボランティア、建設会社らによって、完成まで丸一年以上、忍耐を持って作り上げられた。(和訳・要約して記載)」
火葬施設は須弥山(しゅみせん:仏教において世界の中心にそびえるとされる山。頂上には帝釈天が、中腹には帝釈天に仕える四天王〜持国天、増長天、広目天、多聞天〜が住むとされる)を模したもので、60メートル四方、高さ50メートルにおよぶ黄金色の豪華絢爛なものです。
(失礼ながら)のんびりしたタイ人がこのような広壮な建物をわずか8か月間で作り上げたというのに驚きますが、「前国王のためなら」という気概がそれを実現したと思うと納得もできます。

王宮前広場に建てられた黄金色の火葬施設。
壮大できらびやかです。
葬儀後一ヶ月間は一般公開され、その後取り壊されます。

国王の本当の意味での交代

前国王の服喪期間が明け、黒い服を着た人は減り、電車内や町中の液晶モニタやデジタルサイネージ、音楽、などなど、崩御前に戻りました。
街のあちらこちらに設置されていた白黒の横断幕、祭壇、肖像画のパネルはすべて撤去されました。
弔意を表すものだけでなく、あれだけ国中にあふれていた前国王の"色"が完全に消えてしまったのです。
王位交代による新時代への移行というのはこういうことなのかと実感しました。
昭和天皇の崩御時には意識しなかったのですが、異国の地でそれをひしと感じました。

葬儀期間最終日の夕方。鯨幕(白黒横断幕)を片付けていました。
前国王のパネルを取り外しているところ。
ついにこんな日が来てしまった…

今回は以上で終了です。
ではまた次号でお会いしましょう。

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