2017.03号 ブルネイ編(2)

皆様こんにちは、株式会社コアブリッジの柳です。
今号ではブルネイの歴史についてお届けします。

ブルネイの国家としての始まりは正確には分かりませんが、ブルネイが各時代の中国(唐や宋や明など)に朝貢していた記録が中国の歴史書にあります。
ブルネイとしての歴史が明確に現れるのは、14世紀に最初の支配者Awang Alak Betatarがイスラム教に帰依して自身の名前をSultan Muhammad Shahと変えてイスラム教国家になった、ということからです。
この初代国王(スルタン)が、現在のブルネイ王室の祖先です(現ハサナル・ボルキア国王は第29代にあたります)。

ブルネイの地理的位置

歴史の話に入る前に、ブルネイの地理的位置について触れておきましょう。
現在のブルネイは、南シナ海にあるボルネオ島(カリマンタン島とも言います)の北岸に、マレーシアに囲まれて存在する小さな国です。
後で出てきますが、ブルネイの西側にマレーシアのサラワク州が、東側にサバ州があります。ボルネオ島の南部はインドネシアの領土です。
ブルネイを中心にさらに巨視すると、南シナ海を挟んで西側にマレー半島、北側にフィリピン諸島、南側にジャワ島(インドネシア)、そして東側に香辛料諸島と呼ばれたマルク諸島(モルッカ諸島)があります。
東南アジアの他国と同様、交易の中継地点として機能する位置にありますが、16〜19世紀当時の主要航路からは少し外れています。
すでに各国の歴史編で触れているように、16世紀以降、アジア諸国には欧州列強が侵入して植民地化し、時に武力で、時に協定で領土を獲得していきます。
東南アジア地域の支配者は、マレー半島はポルトガル→オランダ→イギリス、インドネシアはオランダ、フィリピンはスペイン→アメリカのように移り変わっていきます。
ブルネイもその流れに巻き込まれていきます。

ブルネイとマレーシアの陸路の国境。出⼊国管理局があり、⾞が並んでいます。

大航海時代

1511年にポルトガルがマレー半島南西にあるマラッカを占領して東西交易を盛んに始めるようになってから、ブルネイもその中継港市として栄えます。
この頃ブルネイは、北にあるルソン島(フィリピン)からカリマンタン西部までの広範を支配下に置いていました。
1521年にマゼラン遠征隊がブルネイに立ち寄った時の記録には「2万5千戸の海上家屋が存在する」と残されています。ちなみにこの海上家屋は、"カンポン・アイール(水上集落)"として現存します。
先述のように、主要な交易航路からは少し外れているので、他のアジアの国と比べると欧州列強による争奪戦は激しくはなかったのですが、それでも海上覇権に出遅れたイギリスが、各国の支配地の隙間をつくようにして、ボルネオ島に目をつけてきます。

⽔上集落"カンポン・アイール"。モスクも⾒えます。現在でも3万⼈がここで⽣活をしています。

イギリス領

マレーシアの歴史で述べたように、インド、ビルマ、マレー半島を支配下に置いていたイギリスは、1824年にオランダと協定を結び、マラッカ海峡から東側の支配圏を得ます。これにより、イギリスの影響がボルネオ島にも大きく及びます。
ブルネイの東側にあるサバ地区(北ボルネオ)ではイギリスが設立した”北ボルネオ会社”が天然ゴムなどのプランテーションを経営します。
この頃、ブルネイはボルネオ島の北部を中心に周辺を勢力下に置いていましたが、自国内の内紛により力が落ち、西側にある属国サラワクで反乱が起きます。そんな時に、イギリスから民間人ジェームズ・ブルックが派遣されてきます。ブルックが反乱を鎮圧し、ブルネイ王からサラワク王として認められます。
ボルネオ島北部が、イギリスの息のかかったサラワクとサバ(北ボルネオ)の二国、そしてブルネイと、都合三国に分けられたようなものです。
その後も、ブルックはブルネイ周辺で起きた反乱や抗争を鎮圧し、その度に領土の割譲を迫り、ブルネイの領土は徐々に削り取られていきます。辛抱たまらずブルネイはイギリス本国に上申し、1888年にイギリスはサラワク、ブルネイ、サバ(北ボルネオ)の三地域を保護領とします。これにより一応はブルネイの維持存続が叶ったことになります。
ちょうど同時期に、フィリピンの領有権をスペインから買い取った米国が隣国のブルネイにも接近してきます。
1903年にブルネイで石油が発見されると、イギリスは石油の採掘権を得るために、1888年の保護条約を強化します。ブルネイが米国側に逃げていってしまわないようにするためです。
しかし、実際にはイギリスは保護強化の名目でブルネイに駐在官を置き、政治の実権を握ります。ブルネイは、形式上は独立国でも、実質は植民地になってしまったわけです。

太平洋戦争以降

太平洋戦争期になると、日本軍がブルネイにも進駐してきて、イギリスを追い出して占領します。狙いはもちろん石油です。
しかし1945年に日本軍の支配は終わり、再びイギリスの支配に戻ります。
イギリスは、マラヤ+シンガポール+サラワク+北ボルネオ+ブルネイをまとめた「マラヤ連合」を構想しますがうまくはいきません。
1963年になってようやくマラヤ連邦+シンガポール+サラワク+サバを統一した「マレーシア」を建国しますが、ブルネイはマレーシアには参加しませんでした。石油採掘の権利やマレーシア内におけるブルネイ王の序列に関して交渉が決裂したためです。
ブルネイはイギリス保護国の立場を継続しますが、独立を要求し続けますがそれは叶いません。
1970年にイギリスで政権交代が起き、これをきっかけにブルネイ政策に変化が生じます。1971年にブルネイの完全自治が認められ、1984年に念願の完全独立を果たします。
独立したその年にASEAN加盟と国連加盟を果たし、今日に至ります。

今回は以上です。次回はブルネイの現地情報をお届けします。
ではまた次号でお会いしましょう。

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